
人民大会堂(右上は蝶型凧)
「北京で、何か知っていることはあるか」と訊かれたら、まず始めに出てくるのはこの天安門広場だと思う。ちょうど私の親は、物心ついた時には文化大革命(1966)が中国に吹き荒れ、日中国交回復(1978)を若い時分に見、子育てしながら天安門事件に驚いた・・・という世代である。そして、子である私(1980生)は、おぼろげながら天安門広場の大騒ぎを見た記憶がある。また、国交回復前と後1回ずつ、親の旅行写真の中の天安門広場を見ている。だから、「知っていること」の第一に天安門広場が出てくる。コレばかりは、生まれた時に左右されるイメージだから変えようがない。その天安門広場に立ち寄りましょうと言われた時は、少しドキドキした。唯一、知っていると思っている中国に出会うのだから。
地下道を抜けて大通りを越えると、バスの中から見えた南門があるブロックに出る。黄砂に霞む午後の太陽を左手に見ながら、大きな建物の間を早足で歩いた。凧を揚げている人がたくさんいると思ったら、凧を売っている人だった。また、中国の国旗やメダルを売っている人もいた。日本でも、観光名所には変わった物を売っている人がいるけれど、売りながら近づいてくる人はあまりいないような気がする。まるで駅前のティッシュ・チラシ配りの人のように見えた。
数分歩いただろうか、急に目の前が開けて、中国の国旗や赤い旗が高く掲げられている広場があった。天安門広場である。視力が弱いのと黄砂のお蔭で、遠くにある故宮の入り口・天安門が茫洋と見える。本当に「広場」だ。
立澤さんから「15分」(20分だったかな?)の休憩時間を言い渡され、一目散に果てに見える天安門へ歩き出した。どのくらい広いのか、歩いてみればわかるだろうと思ったが、広場にいる人たちに気を取られつつ、あっという間に天安門に面した場所まで歩いてしまった。(でも、5分くらいかかったと思う。)天安門は広場に接しているのかと思ったら、8車線くらいの道路を隔てた向う側にあった。門の上に掲げてある肖像画も、思っていたのよりずっと大きかった。
右手を見ると、少し人だかりができていて、ロープが張られた内側には、警備服を着た警察官(軍人?)が2人、棒の横に立っている。棒の上の方を見上げると、国旗があった。只今午後5時15分、おそらく30分頃に旗を降ろすのではないかと思われる。我先にと前列に陣取り、今か今かと待っているのである。旗を降ろすまで待っている時間はないので、天安門と旗が正面に見える位置まで行ってみた。
軍服姿の人は、広場の周りにも何人か見かけたが、皆、威圧的な感じを受けるよりも、ヒーローのように見えた。なぜだろう。(この2ヶ月後、同じ軍服を着た人が、日本領事館の中に入っていった映像は、非常にショックだった。単に日本や中国の人権意識に落胆したというのではなく、私が見た数ヶ月前のヒーローが、抹殺されたからだと思う。)
天安門、人民大会堂や毛首席記念堂を一通り見て、5分の遅刻。遅刻はいけないことだけれど、広い広い広場を歩く間に、自然博物館の悪夢からは大分開放されたのは、この広場のお蔭だと少し感謝した。